Ancillary Mercy朗読版

(ものすごいネタバレしています)


AudibleがAncillary Mercyのオーディオブックを日本には売ってくれないので、google playで買いました。一作だけ違うアプリで聞くのが面倒だ。とはいえProvenanceにいたっては日本では販売すらしてないので、Ancillary Mercyは買えるだけありがたい。

ラドチ帝国三部作の最終作です。
自分で小説を読んだ当初は、独裁者に反乱を起こしたAIが独立国家を作ってしまうという結末に驚きましたが、ブレクの問題解決能力のあざやかさはよく分かるけど、なんだか全員めそめそしてる(独裁国家の軍人だというのに)し、ぱっとしないストーリーだなあという程度の感想でした。

しかし何度も同じことを言っていますが、Adjoa Andohのブレクの解釈が素晴らしく、読んでいた時には気づかなかったところがくっきりと浮かび上がってくる朗読なのです。
オーディオブックで再読して、自分は書かれていることを何一つ読めておらず、本当にどうしようもなくぼんくらだと猛省しました。


最初のほうで〈カルルの慈〉に「自分で自分の船長になれるとおっしゃったのは本気ですか」と聞かれたブレクがなんとなくがっかりする場面がある。ブレクが失望したことを〈カルルの慈〉が察知したとブレクも気づく。

“I wanted to ask you, Fleet Captain. Back at Omaugh, you said I could be my own captain. Did you mean that?” I felt, for an instant, as though the ship’s gravity had failed. There was no point in trying not to show my reaction to Ship’s words, it could see every detail of my physical responses.
Ancillary Mercy by Ann Leckie

この場面何の意味があるんだろうと思って読み飛ばしていたけれど、終盤でこの話題がまた蒸し返される。
ブレクは〈カルルの慈〉に「独立国家に加わりたくなければ、人間を船長に選んで自分のもとを去ってくれ」と言い出す。セイヴァーデンかエカルなら良い船長になれる、と。
横で聞いてるセイヴァーデンは「艦船ってみんなアホやな」という感想をもらすが、セイヴァーデンには明白なことがブレクには分かっていない。

“You’d probably be happier with Seivarden as your captain. Or Ekalu. I could see myself liking Ekalu quite extravagantly, if I were still Justice of Toren.”
“You’re both being stupid.” Seivarden, who had lain still since her declaration that she wanted to go to sleep. Voice calm, eyes still closed. 
“It’s a very Breq kind of stupid, and I thought it was just because Breq is Breq but I guess it’s a ship thing.”

実は〈カルルの慈〉はブレクが好きで、自分からアナーンダにブレクを艦長にしてほしいと要求していた(ブレクは気絶してて知らなかったけど)。
ブレクは他の艦船が自分を愛してくれてることに気づいていなかったのです。
〈カルルの慈〉の愛の告白がさりげなくセイヴァーデンを下げていておかしい。しかもブレクもセイヴァーデンを見損なっている。可哀そうなセイヴァーデン。しかしすごく可愛いセイヴァーデン。

“I do like Lieutenant Ekalu. I like her a great deal. And I like Lieutenant Seivarden well enough, but mostly because she loves you.”
I said. “She’s grateful that I saved her life, and I’m pretty much the only connection she has with everything she’s lost.”
“That’s not true,” said Seivarden, still placid. “Well, all right, it’s sort of true.”

「セイヴァーデン副官のこともかなり好きですが、それは彼女があなたを愛しているからです」
ってそんな愛の告白最高すぎませんか。
この場面のAdjoa Andohの朗読が、もう鳥肌が立つくらい素晴らしく、自分は何を読み逃していたのかと頭を壁にぶつけたいくらいでした。
AIが何人も出てくるので、朗読で個性を出すのは難易度が高いと思うのですが、アソエク・ステーションのAIと〈カルルの慈〉の演じ分けが巧みで、二人いっぺんにブレクに話しかける場面とかすごく楽しい。(しかしここでステーションと慈が争うようにブレクを助けているのに、好かれていると気づいていないブレクは本当にブレクですね)


これまでいろいろなオーディオブックを聞いてきましたが、Adjoa Andohは本当に素晴らしい読み手です。

 

話は戻りますが、最初のほうでブレクが〈カルルの慈〉は人間に艦長になってほしがってると誤解して落ち込んだってことは、ブレクも〈カルルの慈〉に好意を持っているんですよね。でも艦船同士には愛は存在しないと思い込んでるブレクは自分の愛情に気づいていなかった。すごく頭いいのに自分の感情になると鈍すぎるブレク。

ブレクは「半分信頼できない語り手」なんだと思う。彼女はとても有能なAIだけど、記憶に欠落があったり、何かを感じてもその感情が理解できないことがある。その点に気づいた時、作者があちこちに仕掛けをしていることにも思い至りました。プロットがちょっとダレているとか思ってた自分はとても愚かです。


あと普通のSFとかなり違うと思った部分。
ブレクは自分が艦船だったころには、船長や副官たちはどんな要求も当然視していて、艦船の気持ちを思いやってくれたことはなかったと憤っているのに、〈カルルの慈〉に対しては人間と同じようにふるまっていた。
艦船やステーションのAIがやっているのは「ケア労働」「感情労働」ですよね。「無償のケア労働」を要求されたほうは大変な仕事を黙ってこなし、要求したほうは感謝どころか仕事が発生したことにすら気づいていない。
AIが賢くなりすぎて独立するという「AIと知能」を描いたSFは他にもあると思うが、「AIとケア労働」(またはAIだからってケアを押しつけていいのかという問題提起)って初の試みではないでしょうか。

私たちの現実社会では通常「無償のケア労働」は女の仕事、特に主婦の仕事。ケア労働、感情労働を押し付けられたAIたちの憤怒は現実社会では専業主婦たちが心に抱いている怒りでもあるわけで、「専業主婦の憤り」をSFのテーマに昇華させたアン・レッキーはやはりすごい。
ただしラドチにはジェンダーの区別がなく、「女」というものが存在しない。作者はそこまで考えて設定しなかったのかも知れないが、性差別がないぶん、ラドチ社会を描く際には差別構造や抑圧が見えやすくなっている。(現実社会の問題を考えようとすると、どの問題にも性差別が組み込まれていて、単独で考えることが困難だから)

もう一つ第三巻で取り上げられているのは、セイヴァーデンがエカルに対して見せる無意識の優越感。セイヴァーデンは恋人であるエカルに「きみは下層階級出身には見えないね」とか言ってしまう。エカルが激怒すると、育ちの良いセイヴァーデンはすぐ謝るが、本当は何が悪かったか理解してないため「褒めたつもりだったんだ」とか言い訳してさらにエカルを傷つける。
現代日本だったら部下女性に「スタイル良いね」とか言ってしまって炎上する昭和おじさんみたいなものか。
セイヴァーデンはティサルワットのことも「お嬢ちゃん」呼ばわりして怒らせる全方向に価値観アップデートできてない上司で、悪気はなくてもそういうのはダメなんだとみんなから怒られる。たとえセイヴァーデンがどんなに美しくて上流出身でも、他者を傷つける言動は許されない。

男性作家や男性読者の多いSFで「軍隊の上官といえども上から目線はNG」と正面切って書いてある小説はかなり珍しいのでは。

ラドチ帝国シリーズの基本は、独裁者に破壊された宇宙戦艦が艱難辛苦を乗り越えて復讐を果たす仇討ち物語。第一巻では帝国主義による民族浄化、第二巻では民族差別や階級差別といったある意味わかりやすい問題を描き、第三巻ではさらに踏み込んで、感情労働パターナリズムという隠れた抑圧を描いている。従来の宇宙SFとは目のつけどころが違いすぎる、読めば読むほど考えることが増える小説です。

 

好きだからすごく長々と書いてしまった。

最近特に女性作家のSFで性差別や民族差別、経済格差を取り上げた作品が増えているように感じる。アメリカの非白人の女性作家も注目されているようだし、いい時代になったなあと思います。

 

おまけ セイヴァーデンの可愛らしさについて

ブレクは何度も「セイヴァーデンは自分のお気に入りじゃない」と言ってるけど、よく読むと(行間を読めるようになってきた)セイヴァーデンのことをすごく信頼してて、イトランへ戻るならセイヴァーデンも連れて行こうと思ったり(セイヴァーデンOKしてないのに)、セイヴァーデンが肩にもたれてきたら暖かいと感じたりして、本当はセイヴァーデンのことをすごく好きなくせに頑なに認めないのは何なの。セイヴァーデン本人も「ぼくはブレクのお気に入りじゃないから」と部下に漏らしたりして、セイヴァーデン可哀そうすぎる。
そしてセイヴァーデンがベッドに潜り込んで愛らしく見上げてきても「セイヴァーデンが欲しがっているものは与えることはできない」と慈に言ったりするのはどういうつもりなの。セイヴァーデンのハニトラにかからないってどんな禁欲主義者なの。