帝国SFとタカラヅカ 『帝国という名の記憶』

アーカディ・マーティーンの『帝国という名の記憶』を読みました。
好きだ。好みすぎる。

クローン皇帝や、別人格の埋め込みなど、解説でもアン・レッキーの「ラドチ帝国」やユーン・ハ・リーの九尾の狐シリーズとの関連が指摘されていたけど、ここ最近のSFの流れなのでしょうね。
帝国が舞台で、女性が主役で、恋愛の相手が異性に限られていないところも似ている。

それで自分はがどうしてこんなにも帝国SFが、それもキリっとした軍装の美女が登場する作品を読むと嬉しいのかと考えていて、思い出したのが

マライ・メントラインの勝手にお悩み相談室「困っています。全力で『ガルパン』を推すために私は何を為すべきでしょう」

この記事で美少女も戦車も好きだけど『ガルパン』を全力推しできないのはなぜかという悩みについて、メントラインさんはご自分で

自分的に美少女も戦車も全然オッケーで別々ならよいのだが、同時に来られると非常に困るという、そんな現象のような気がするわけです。

と答えを出しているのですが、私がアン・レッキーを好きな理由はこの裏返しで、帝国SFとタカラヅカが同時に来ると大喜びする、ということだったのでしょう。他の人がどんなイメージで読んでいるか分からないが、私の脳内の「ラドチ帝国」図像はベルサイユのばらのマリーアントワネット抜きだから。

分かってすっきりしました。

『帝国という名の記憶』は続編の邦訳もすぐ出るようでめでたいかぎりです。

いまウィキペディア見て気づいたけど、アーカディ・マーティーンは女性ですね。女性作家と思って読んでたのに、『帝国という名の記憶』の謝辞や解説を読んだら男性作家のような印象を受けた。自分の読解力が謎。