ソルトバーン再訪

アマプラで配信されたSaltburnを見ました。バリー・コーガン(最近はキヨガンと書くのか)とリチャード・E・グラントが出ているという情報以外何も知らないまま見た。

■オックスフォードに入学するオリヴァー・クィック。背後に流れるZadok the Priestの歌詞が"Zadok the priest and nathan the prophet"から "Oliver Quick, long live the King!" (オリヴァー・クィック王に長寿あれ)に変更されてるらしい。冒頭をもう一度見たら確かに歌詞が変わっている。最初から不穏な話だと暗示されていたのだ。

ラドクリフ・カメラの特写に最初はわー「ブライズヘッド再訪」みたい~と無邪気に喜びながら見ていた。
「ブライズヘッド」ではチャールズ・ライダーが「セバスチャンの友人になる前から彼のことは知っていた」と語り、「ソルトバーン」でもオリヴァーが中庭にいるフィリックスを部屋の窓から見つめる。ここはセバスチャンがチャールズの部屋に窓のから闖入してきた件のオマージュか?
フィリックスも、とある事故でオリヴァーに助けられ、オリヴァーの人生に入ってくる。

■指導教員がファーリー(フィリックスのいとこ)に「君のママに憧れていた」と嬉しそうに告白する場面。オリヴァーは大学を卒業したら、この教師のように「フィリックスに憧れていた」一般人に成長する運命だった。ここでオリヴァーがイヤな顔をしているのは、自分はセレブ側にのし上がってやるぜという決意の表れだったのか。

■タキシードを着たオリヴァーにファーリーが「これで本物の人間の男の子と言っても通るな」と意地悪を言う。このセリフが後のドッペルゲンガーの話や仮想パーティでのオリヴァーのチェンジリングのコスプレに通じていると思うとファーリーの勘の良さに背筋が寒くなる。

■オリヴァーの目の前についにソルトバーンが姿を現す。エモいストリングスの伴奏で感情の盛り上がりも頂点に達したところでバーン!と全景が。お屋敷映画はこうでなくっちゃね。

■ロング・ギャラリーのソファに座っている「パパの古いテディベア」名前はアロイシアスか?ここでも「ブライズヘッド」への目配せ。

■フィリックスに「イーヴリン・ウォーの小説みたいな生活だ」と感想をもらすオリヴァー。フィリックスは「ウォーの小説のモデルはうちの一家だよ」となんでもなさそうに答える。ウォーのどの小説かは言及してないので「黒いいたずら」のモデルとかの可能性もある?

■ソルトバーンのロケはノーサンプトンシャーのDrayton Houseで行われた。現在の所有者はStopford-Sackville家だそうで、映画中の「サックヴィルたちはパーティに欠席だ」というセリフはロケ使用へのお礼か。

■リチャード・E・グラントはフィリックスの父サー・ジェイムズ役。
下層民のオリヴァーには何も期待してなかったようだけど、陶芸美術に詳しいと知って、ついに話の合う相手が現れた!と喜んでいるところが可愛かった。一族みんなオックスフォード出身だろうに知的な会話に飢えていたのね。
オリヴァーが家長も美しい母親も姉も篭絡していくところはやはり「テオレマ」っぽいが「聖なる鹿殺し」にも似ている。

■誕生日パーティでのオリヴァーの扮装はインド人の小姓だと思うのですが、なぜか鹿角が生えている。超可愛い。バラシオンっぽい。監督のインタビューを読むと「聖なる鹿殺し」へのオマージュだそう。
しかし迷路の場面でのオリヴァーは半獣=ミノタウロスであり、ミノタウロスを殺して迷宮を出るテセウスでもある。

■サー・ジェイムズが鎧を着られて喜んでたコスプレは「夏の夜の夢」 のテセウス。比喩がいくつも重なっている。
サー・ジェイムズは彼なりに家族を愛していたのでしょう、冷血だけどけっこう善人だった。小切手のシーンのリチャード・E・グラントの抑えた演技が最高。

■墓場のあの場面は嵐が丘ヒースクリフがキャサリンの墓を掘り返すシーンのオマージュらしい。いろいろ気持ち悪い描写の多い映画だった。バリー・コーガンよく頑張った。墓石のフォントを褒めるところがとても好き。solidって何なの。笑っていいところなのか?

バリー・コーガンのアクセントが良く分からなかった。普通のイギリスアクセントか、いっそアイルランド訛りではダメだったのか。

 

とても楽しめる映画でした。最後がチープなスリラーっぽくなってしまうのも、それはそれで面白かった。階級批判に見せかけて安手の犯罪ものだったというオチが良い。