ナショナルシアターライブ「ハンサード」

リンゼイ・ダンカンとアレックス・ジェニングス主演の「ハンサード」。
日本で上映されると思ってなかったので大喜びで見に行きました。

予備知識は上等な服を着た険悪な雰囲気のカップルが、急にお澄ましして笑顔で写真におさまる予告編だけ。
いまもう一回この予告見てみたけど、笑顔の自然さとその前後のギャップが素晴らしい。

登場人物は2人だけ。幕間もなく、場面も庭に面したキッチンのみ。場面転換もないシンプルなお芝居。
とても広くて美しく居心地がよさそうな台所です。ここに住みたいな。

サッチャー率いる保守党の下院議員である夫が週末を過ごすため、ロンドンから田舎の邸宅へ帰ってくる。
もう昼近いのに妻は寝間着のまま飲んだくれていたらしい。
夫は妻の自堕落をなじり、妻は夫の特権意識をあげつらう、という場面が長く続き、イギリスによくある男女のカップルが大声で罵り合うお芝居なのだろうか、ちょっと苦手かも・・・と思いながら鑑賞。

最初のほうで妻が夫にいろいろ難癖をつけて、炭鉱労働者の気持ちになれとか、マーガレット・ドラブルとかの社会的な小説を読めなどと言う。
ここで夫がイアン・マッケランイアン・マキューアンをごっちゃにしてて笑いを取り、文化に興味のない人なんだなと分かる。

フェミニストで左派の妻が、保守派の夫と会わなくて喧嘩をふっかけているのか?と思っていたら、だんだん話は意外なほうへ展開していく。
夫妻のあいだには辛い過去があって、いままでそれを覆い隠して生きてきたのだが、あることがきっかけで妻はついに悲しみを背負いきれなくなってしまう。

リンゼイ・ダンカンの演技が素晴らしく、最後は号泣してしまって恥ずかしかった。
でもアレックス・ジェニングスも涙を流してたから恥ずかしがらなくていいんだよ。

観劇の後の爽快感が非常に大きく、いいものを見たなあとパンフレットを買って帰りました。自分が生きているあいだにアレックス・ジェニングスが表紙の映画パンフレットを日本で買えることは二度とないだろう。良い買い物だった。


しかし、しばらく経って思い返してみて、なんだかだまし討ちにあったような気になってきました。
けっきょく妻は左派でもフェミニストでもなかったのよね。そりゃ左派でフェミニストだったら保守党の政治家と不倫して略奪婚して専業主婦になって息子を名門パブリックスクールに入れるわけないしね。


妻は労働者の権利とか女性の地位向上とか移民問題とかを取り上げてご高説を聞かせてくれるけど、本当に言いたいことは全然違うことだった。

妻の本心が伏せられたまま、観客も夫もぐるぐる鼻面を引き回される。最後で謎がとけてすっきり大感動するものの、冷静になって考えると騙されてたような気持ちになってしまう。
パンフレットで脚本のサイモン・ウッズの経歴を読んで「ああそういうことだったのか」と腑に落ちたというか。そういえばこのパンフレットの集合写真も男だけだ。


ていうか、そんなことまで女が立ち上がって戦わないといけないの?という疲労感にも襲われました。
もし夫婦の子が息子ではなく娘だったらどういう話になっていたんだろうか。娘だったらそもそもお芝居の題材にもされなかったんじゃないかな。

家父長主義の母マギー・サッチャーが回りまわって普通の母を苦しめると言いたかったのだろうか。

なんか釈然としないが、俳優の演技は本当に素晴らしかったので見れてよかったです。