「聖なる鹿殺し」バラシオン的感想

タイトルに魅かれて『聖なる鹿殺し』(The Killing of a Sacred Deer)を見てきました。
邦題がちょっとトリッキー。「聖なる」が何を形容してるか分からない。私はディアハンターを生業とする人がいて、その人物が聖別されるのかなーと思ってました。全然違います。
 
「神聖な鹿の殺害」って意味でした。聖なる鹿といえばバラシオン。“Ours is the fury”
 
(ネタバレしています)
 
 
 
冒頭何を見ているのか分からない場面がしばらく続きます。何か分かったら気持ち悪いし怖かった。あんなふうになってるのか。
 
映画を見終わってから知ったのですが(何の予備知識もないまま見に行ったので)、この作品はエウリピデスの『アウリスのイピゲネイア』が題材になっているそうです。このギリシャ悲劇はアガメムノーンが傲慢にも女神の鹿を殺した罰に娘を生贄にする話らしい。
 
映画はかいつまんで言えばコリン・ファレル演じる心臓医スティーブン・マーフィが手術で患者を死なせてしまい、患者の遺族に命じられるまま自分の家族を生贄にするストーリーです。
 
しかしプロットの説明をしてもあまり意味がないようにも思います。すごく奇妙な映画なので、各人が好きなように解釈しても良いのだろうと感じました。
昔こういう映画を見たような気がするなーと思ったらテレンス・スタンプの『テオレマ』に似てませんか理解しづらいところとか。
 
 
バリー・コーガンがスティーブン・マーフィに父を殺された青年マーティンを演じています。
物静かで無害そうな青年にしか見えないのですが、彼の心には復讐が燃えているのです。
バリー・コーガンは「ダンケルク」で変わった顔つきで印象に残っていましたが、この映画では言葉づかいも物腰もとても丁寧で礼儀正しく、時々小動物のような純粋な表情を見せています。
 
くるくる渦巻く豊かな黒髪と青い瞳がバラシオン・カラーというのも私の心臓をわしづかみにするポイントでした。

バラシオン家ファン的に見るとこの映画は、ラニスター家に父を殺されたロバート王の私生児が血の報復を果たす物語。心臓医の娘と息子はサーシーとジェイミーをあらわしてしています。
マーティンがスティーブン・マーフィに贈られた高級時計のベルトを金属から革に変えたのは、金をありがたがり、なんでもカネで解決しようとするラニスターへのバラシオン鹿からの軽蔑を意味してるのではないかと思いました。
 
(参考図 悪いラニスター親子)
 
 
もしくはラニスターと結婚してバラシオンの誇りを捨てた心臓医ロバートに、私生児が先祖の怒りを伝えに来る話と考えてもいいかも知れません。その場合心臓医の妻がサーシーでしょう。
 
 
 
 
Barry Keoghan 'The Killing of a Sacred Deer' Winner Best Supporting Actor Film 2018
 
 
IFTAの映画部門助演男優賞受賞スピーチ。Keoghanってキョーギャンみたいな発音なのですね。
この時はドラマ部門助演男優賞受賞をダヴォスちゃんが取ってるのでバラシオン的に感無量。